国や社会のために奉仕したい。
私はね、10代の頃、新聞記者になりたかった。社会問題に目を向けて、なぜその現象や事件が起こったのか、何度も現場に足を運んで見聞きしたものから真実を見い出して、世の中に発信していくことに憧れを抱いていたんです。それに「新聞記者」という名刺ひとつで年齢に関係なく、社長でも大臣でもどんな人にでも会いに行き話が聞けるのも面白い職業じゃないかと。
私が将来の自分の職業について考えたとき「自分を動かす原動力はなにか?」ということも考えました。まず、どんなこともとことん突き詰めて、真実を知りたいという好奇心。そして、正義感も人よりずっと強いでしょうね。自分勝手なことをする人間を許せないと言いますか。所内でも所外でも、仕事でもプライベートでも、おかしいと思うことがあればおかしいという性格です。それくらい、人として正しいことをすべきだという思いの強い人間です。
あと、やはり自分は「国や社会のために奉仕したい」という信念が強かった。どんな仕事も基本的には誰かのためになっていますけれど、好奇心と正義感という自分を突き動かすもので世の中に貢献できる職業は、弁護士なんじゃないかと考えました。
あえて極端な言い方をすれば、自分の志や信念を貫き通せる仕事であれば、新聞記者だろうと、弁護士だろうと、どんな職業にも興味があった。弁護士として、どんなふうに国や社会に貢献していくか。その考えがブレたことは一度もありません。いま私の名刺には「弁護士」とだけ肩書が入っているけれども、弁護士はどこまでいっても弁護士、やっていることの本質は変わりません。あえて言えば、「先生」と呼ばれるだけの尊敬に値する人間であるべきという社会的使命があるのが弁護士だと思っています。
自分は、なぜ「弁護士」を志すのか。ぜひ一度あらためて考えてみてはいかがでしょう。
「忘己利他」の精神であること。
そんな私が弁護士として大切にしていること。それはたったひとつ、「人のためになっているのか」ということです。
平安時代に活躍した僧侶の最澄が残した「忘己利他(もうこりた)」という言葉をご存知でしょうか。文字通り、自分のことはさておき、人のために役に立てているのかどうか、という意味ですね。私はこの言葉が好きで、弁護士という職業の価値というのはこれに尽きると思っています。そして、これは「TMIの弁護士にとってなにが大事なんだ?」という問いの答えにも通じます。だからこれだけはブレてはならない。報酬というのは、人のために尽くした結果でしかない。それがTMIの変わらぬマインドであってほしいと思います。
ちなみに中国では「10代は自分のため、20代は家族のため、30代は会社のため、40代は社会のために」というようなことわざがあると聞いたことがあります。
弁護士という仕事は、相談を受けてそれに対して解決策を示して、課題解決をめざします。物事を多角的に捉えて、アイデアを出し、全身全霊をかけて取り組むわけです。裁判であれば、勝訴を。契約であれば、クライアントにとっていい契約ができれば、「良かった」となるわけですけれども、とにかく目の前にはいろいろな選択肢があり、同時に時間の制約もあります。そのなかで、これまで得た知識や経験を総動員して解決にあたる。自分が持てる能力や個性を出し切らねばなりません。そこが大変なところでもあり、この仕事の醍醐味です。弁護士はまさに自分という人間の持ち味をまるごと使って「人のために尽くす」ことができる、究極の職業であると私は思います。
困っている目の前の人のために尽くす。いわば「ボランティア」のようなやりがいがあるのに、これで報酬がもらえるなんて、これ以上良い仕事はないと私は思うわけです。